碁盤の目はいつ作られた!?

2012年 1月 27日(金曜日) 14:00

2012年 1月 27日(金曜日) 14:00

私の住んでいる街は、小規模ながら碁盤の目(赤線で強調された部分)で整理された区画で、街路樹や公園の多い閑静な住宅街です。江戸、明治年間の面影はなく、いかにも開発された街という感じです。 その区画が、どの年代に作られた(開発)かに以前から関心がありました。 歴史書などで調べ、大よそは知っていましたが、地形図では確認したことがなかったので、改めて確認してみました。

この区画は、ほとんど東西南北交互に一方通行の交通規制がされています。その影響もあり、その昔、地方に住んでいる知人が、来訪時にこの区画に入り、標識のとおりに順調に行けば2分程度で我が家へ到着するはずが、道1本の間違いから始まり、結果的に1時間程度も掛かってしまったというハプニングがありました。(まだナビや携帯電話がない時代です。)

そんなハプニングも起こしてしまったこの区画はいつ作られた(開発)かを、当時の地形図と一緒に紹介したいと思います。

 

まず、最新の地形図でこの街を紹介します。右の図は、平成13年5月1日発行の2万5千分の1地形図「志木」の一部です。 発行から10年ほど経っていますが、現在とそう大きくは変わっていません。

1 H13
 
2 S44

いきなり、開発された年代の地形図で紹介する前に、開発時と現在のほぼ中間の年代にあたる地形図が発行されていたのと、個人的に興味のある年でありますので、紹介したいと思います。
左の図は、昭和44年5月30日発行の2万5千分の1地形図「志木」の一部です。
最新地形図だと碁盤の目の区画も、そんなに目立たない感じではありますが、この年代だと少々目立って見えているような感じがします。この地形図を見てみると、私の一番古い記憶のとほぼ一致しています。

 

次は、かなり遡りまして戦前になります。右の図は、昭和4年9月30日発行の2万5千分の1地形図「志木」の一部です。
周辺の道路等と比較してわかると思いますが、ある地区だけ碁盤の目に区画整理されているのがよくわかります。この区画を一番最初に描かれたのはこの地形図のようです。
現在では特に目立たない区画が、この年代だといかにも開発しました!という感じがよくわかります。
この地域は、関東大震災以降の郊外住宅地への旺盛な需要に応えて、当時の某大手土地会社が開発した学園都市の一つ(結果、学園都市にはならなかった)であり、大正13年から開発が始められたそうです。

3 S02
 
4 T08

碁盤の目での区画が描かれた一番古い地形図を、確認出来たので今度は開発前の地形図も確認してみました。
左の図は、大正8年12月28日発行の2万5千分の1地形図「志木」の一部です。今から約90年前です。 現在では、碁盤の目で区画されている地域は、犇く住宅街ではありますが、この年代では、周辺同様ほぼ農地のようです。
またこの年代は、宿場町がまだ賑わっていたようで、この近くにも川越街道の宿場町(膝折宿※赤色で示した部分)がありました。(現在もその地域には面影が残っています。)地形図でもその賑わいがわかると思います。

 

江戸・明治年間等の古い年代の面影が残っている、そんな街並みが、私は好きですが、生まれ住んで数十年…住めば都で、我が街もとても良い街だと思っています。

 

(T. K.)