富士山の高さ

2012年 2月 17日(金曜日) 15:30

2012年 2月 17日(金曜日) 15:30

皆さんは小学校の頃、富士山の高さを『富士登山皆悩む』3,776mとならったことと思います。これは明治の頃設立された参謀本部陸地測量部が行なった三角測量の結果により得られた数値で、東京湾の平均海面からの高さとなっています。わが国で初めて科学的に国土を測ることで得られたこの数値ですが、それ以前には富士山の高さはどのように計られ、どの位の高さだったのでしょうか?

次の表を見てください。

表 富士山の旧測定結果

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鈴木弘道著 『山の高さ』より

(1)1727年は享保12年、徳川吉宗が『洋書の禁』を緩めた時代。吉原の宿(現在の静岡県富士市吉原)より富士山頂を直角三角形とその比例で解いた結果をmに換算したもの。

(2)伊能忠敬はあまりにも有名だが、伊能図は平面位置に重きを置いたため、あまり高さの記録は残っていない。方位盤、象限儀を使用。

(3)シーボルトは伊能図より距離を読み取って六分儀で測定したらしい。六分儀はロンドン製の15秒読みのセキスタントといわれている。

(4)内田恭は幕末の和算家で1834年(天保5年)に占気筒と呼ばれる液柱式気圧計で測定した。

(5)オルコックは初代の英国大使で外国人富士山初登頂を果たした人。

(6)クニッピングは東大の前身、開成学校の教師で生徒とともに沼津と山頂で気圧計の同時観測を行った。また、気圧、温度、湿度の観測も行った。2つの結果があるが、現在の結果はこれらのちょうど平均になる。

(7)東大教師のメンデンホールらが富士山頂での重力、地磁気測定をした際に気圧計による計測も実施した。山頂と山麓の原(現在の静岡県沼津市原)での同時観測の結果。

(8)東大教師のチャップリンの三角測量による値。鹿野山、丹沢山、天城山、富士山を結ぶ測定であり、後に一等三角網を構成する一部となる。

(9)1887年(明治20年)の三角測量、平板測量の結果である。この値が現在につながる。軍国主義の元凶とも言われた陸軍の最も文化的に高い業績となった

(10)関東大震災のあと改めて三角測量をした結果1926年(大正16年)に復旧測量で得られた結果である。今回の東日本大震災でも復旧測量がおこなわれ、東日本全域の三角点成果が変更されている。

 

 

皆さんは結果及び結果/3,776mの欄を見てどのように感じるでしょうか?1割すなわち10%以上の誤差のある観測は(5)のオルコックの数値ぐらいでいわば素人です。そのほかは見事な測定といえるでしょう。ましてや今の進んだ環境と比較にならないくらい限られた当時の道具、知識のもとで得られた結果です。

気圧計は簡単に高さを測る方法として広く知られています。海面上で高さが8m違うと気圧が1ヘクトパスカル違うのです。0.1ヘクトパスカル単位で気圧を測れば1m精度の標高値が得られることとなります。ただしそのためには2台の気圧計の目盛を合せ、同時観測をしなければなりません。また、繰り返し観測を行なって平均をとることも必要です。気圧計は水銀気圧計とアネロイド気圧計がありますが、持ち運びには小さくて軽いため後者が使われます。

また三角法や三角測量で麓から山頂を見て高さを知ろうとする場合、考慮すべきことが2つあります。その1つは地球は丸いということです。地球の丸みのため遠くの山は山裾が地平線の下に沈んでしまうことになるわけです(これを球差といいます)。その量は距離の二乗に比例し、10km離れれば7.8mにもなります。2つ目は空気層の密度の差による光の屈折です(これを気差といいます)。一般に空気層下層のほうが密度が濃いため光は下方に曲がります。その結果実際の山頂は沈んで見えるのです。

 

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図 地球は丸い

 

これらのことを考慮して現在の富士山の標高(2等三角点富士山)は、3775.63mと決定されています。

 

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